【週報巻頭言】2022年11月27日 隠れたことを見ておられる神(マタイ6章1~4節)
あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。(マタイ6章4節)
ここで神さまのことをイエスさまはこのようにおっしゃっています。「隠れたことを見ておられる父」。神さまは隠れたことを見ておられる方と言われます。隠れたこととは、何でしょうか?隠れたこと、それは私たちの心の中です。神さまは私たちの心の中を見ておられる。イエスさまがあなたがたは偽善者のようになるな、と言われました。偽善者という言葉は原語では俳優という意味がありますが、私たちは、目に見えるところでは、表向きは善いことを行なっていても、心の中はどうでしょうか?私たちは善い人を演じているようなことがあるかもしれません。神さまはそういう私たちの心の中をご存じです。
隠れたこと、もう一つのこととして、それは私たちの隠れた行いです。隠れた善い行いかもしれませんし、隠れた悪い行いかもしれません。神さまはそのすべてを見ておられる、ご存じなのです。隠れた善い行いというのは、私たちはあまりやりたがらないかもしれません。隠れたところ、人に知られないところで善いことをしても、人に注目されること、ほめられることはありません。でも隠れた善い行いを神さまは見ておられる。神さまは喜んでおられるのではないでしょうか。たとえ、人から評価されなくても、神さまが見ておられるなら、神さまが良しとされるなら、私たちはそのことを喜びたいと思うのです。実は教会の働きというのは、この隠れた善い行いが多いのではないかと思います。私は教会の皆さんの隠れた善い行いを後になって知らされることがあります。その時にはとても胸が熱くなります。繰り返しますが、隠れた善い行いを神さまは見ておられ、喜んでおられることをおぼえたいと思います。
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